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棚田の環境的意義1.はじめに〜水田とは〜棚田のお話をする前に,まずは水田について,その現状や優れている点などをご紹介します.(1) 水田の定義 |
「あぜに囲まれた湛水(たんすい)できる農地」のことを「水田」として定義しています(田渕,1999).
湛水とは水をためること.これが畑との最大の違い.水をためるためには,あぜを毎年のように整備しなければいけないのはもちろん,水田に水を引いてくる(灌漑(かんがい)という)ための用水路も整備されていなければいけません(排水路も).また農作業の効率化のためには農道もきちんとしていなければならないし,水田1枚1枚の形もできるだけ長方形に近い方が機械の効率がよくなります.水田で作られる主な作物は,コメの他に,レンコン,イグサ,ワサビなど.レンコンは茨城大学農学部のすぐそば,土浦市の名産品です.イグサは畳の原料.ワサビは流れのきれいなところでないと育ちません.
以下ではイネを栽培している水田の話に限定して進めます.
様々な農地の中でも,水田は「湛水する」という特徴から,土壌や水,そしてその周辺地域に様々な特殊な効果をもたらします.
そのような水田について,土壌や水の動きや特徴に注目して,農作物(主にイネ)の生育を安定的に向上させること,また水田が周辺地域の環境へどのように寄与するかを明らかにすることを目的とした学問が「水田工学」です.主な対象が「土」「水」「イネ」,そしてときには「人間」や「労働」も含まれます.日本独自の学問といってよいでしょう.
戦後,食糧増産の時代に水田は全国各地で開拓されました.一番多かったのが1960年頃で,その面積は350万ha近くまで増えました(1haは1辺が100mの正方形の面積=10000m2).
しかし,高度経済成長期を経て,現在では270万ha(関東地方から東京と神奈川を引いたくらい)にまで減少しました(ちなみに畑は220万ha).さらに,現在イネを実際に作付けしている水田の面積は200万ha弱(茨城と栃木と群馬の面積を足した大きさよりひとまわり大きい)で,さらに減少しつつあります.この差の70万haの大部分は,米あまりのために「休耕田」「転作田」としてイネを作ることを禁じられているものですが,一部は無許可で駐車場や資材置き場にされていたり,また管理が放棄されて雑草だらけになっているところ(「耕作放棄田」という)もあります.このように水田が減少した原因は大きく3つに分けられます.
1つ目が農村が変容したこと.若い世代があとを継がずに都市へ働きに出る(離農)こと,それに伴って農業従事者や農村自体が「高齢化」したことなどです.
2つ目が,食生活の変化で国内の米の消費量が減ったこと.国民1人あたりのコメの消費量は終戦直後の半分程度だそうです.
そして3つ目が,2つ目とも関連しますが,米価が低落したために,中小規模の稲作農家は経営が厳しくなったことです.
水田が最近改めて注目を集めています.これは水田が持っている食糧生産以外の機能(水田の多面的機能)が知られるようになったためです.そのうちのいくつかを紹介します.
- 湛水による栽培上の利点
- 「連作障害防止」:同じ農地で毎年同じ作物を作り続けると,作物の生育に有害な微生物や菌類,化学物質の集積によって,年々収量が低下することがあります.これを「連作障害」といいます.
ところが,水田では連作障害が起こりません.水をためることによって酸素不足になり,微生物や菌類が生きられないこと,また水が徐々にしみこむことによって,有害な化学物質が洗い流されるためです.- 「保温効果」:水の比熱が大きい(暖まりにくいが冷めくい)という特徴を活かし,水田には保温効果があります.寒冷地でも稲作が行えるのはこのおかげです.また,1993年の大冷害の年(平成米騒動)に,湛水の深さを深くし(「深水灌漑」),保温効果をフルに発揮して冷害を乗り切ったという例もあります.
- 「除草防除」:水をはることによって,雑草が減少します.
- 湛水による肥料上の利点
- 「還元状態」:水田は水をためていることから,土壌中は酸素不足になっています.このような状態をといいます.
還元状態では,pHは上昇して中性的になります(日本の土壌は一般に酸性的).また,微生物の活動が鈍くなることから,根や葉などの分解は進まず,有機物が蓄積します.さらに,三大肥料のひとつであるリンは,酸化的な状態だと土壌中の鉄やアルミニウムと化合していますが,還元状態だとそれが分解して,イネに吸収されやすい形になります.- 窒素について:酸素が多い状態(畑など)では,土壌中の窒素は硝酸イオン(NO3-)の形になっていますが,還元状態ではアンモニウムイオン(NH4+)の形になります.
一方,土壌の粒子は一般に負の電気を帯びています.すると,硝酸イオンの状態ではマイナス同士になって土壌にはうまくくっつきませんが,アンモニウムイオンだとプラスの電気とマイナスの電気でよくくっつきます.すなわち,還元状態にある水田では,窒素分がよく土壌に吸着して,無駄に流下することを防ぎます.
- その他:カリウムは用水中から供給されます.また,湛水中に発生する藻類の中には,空気中の窒素分を固定する働きがあるものもあります.
- 水質浄化機能〜「脱窒(だっちつ)」
- 水田の土壌は還元状態であると上で述べましたが,表面の数mmの厚さに限っていえば,水中から酸素が供給されるために酸化的な状態になっています.そこでは窒素もアンモニウムイオンではなく硝酸イオンの形になっています.
その数mmの酸化層には「脱窒菌」と呼ばれる好気的な微生物が住んでいます.この微生物は硝酸イオンを窒素と酸素に分解し,この酸素を使って呼吸するという特殊な働きをします.分解された窒素は,そのまま気体となって空気中に放出されます.
このように,水田で土壌中の窒素分が脱窒菌の働きによって空気中に放出されることを「脱窒」といいます.
近年,上流から窒素過多の水(畜産や多施肥の畑を起源としたもの)が流れてきて,それが湖などに流れ込むと湖が「富栄養化」してアオコの発生などを引き起こすことが問題となっています.そうした窒素過多の水を敢えて水田に灌漑し,そこでこの脱窒の機能をうまく活用して水を浄化しようという試みが盛んに行われています.これが「水田の水質浄化機能」の中でも最も重要なものです.
(なお,脱窒は窒素過多の水から窒素を除去する際には有効ですが,貧困などで窒素肥料の施用が難しい地域では逆に問題となっていることを付け加えておきます.) その他の水田の環境保全的機能としては,水田から下にしみこんだ水が地下水を潤しているという「地下水涵養(かんよう)機能」,畑に比べて土壌が流出しにくいという「土壌保全機能」などがあげられます.
- 水生態系の保全
こちらのページでメダカを例に挙げて紹介しています.
- コメの優れている点
最後に水田の本来の機能である食糧生産の場として機能に注目して,コメのよさについて説明します.
コメは,トウモロコシには若干劣りますが,同じ農地面積から収穫されるエネルギーがコムギの約2倍,大豆の約3倍と,高いことで知られています.しかも水田は連作や二期作ができるので,そのエネルギー効率は極めて大きいことになります.
また,コメは高栄養価であり,またタンパク質や脂肪分も多く含んでいることなど,栄養バランスが優れていることでも知られています.コメ,コムギ,トウモロコシが三大穀物といわれますが,以上のことから,コメは我々人類が生きていく上で最も重要な作物であるといってもよいでしょう.
もうひとつ大事な点.コメにはいろいろな食べ方があります.和食にも洋食にも中華にも合うし,炒めても炊き込んでもOK.粉にしても食べられるし,餅のようについて食べることもあります.塩をかけただけでも食べられるし,またおはぎのように甘くしても食べられる.このような多種多様な味の楽しみ方ができるのはコメの最大の利点だということもできます.
ここでは2つ提示しておきます.
1つ目が,国際競争力を高めること,及び農業人口の減少に対応することを目的として,より省力的で,より安価に稲作を行えるような技術の開発とインフラ整備を行うこと.前者には直播稲作などの技術が,後者には水田1枚1枚を大きくして機械の効率を高めること(水田の大区画化)などが相当します.どちらもそのための問題点は山積みです.
2つ目が,水田の多面的機能の定量化や評価を行うこと.水質浄化機能や生態系保全の機能,また後ほど述べる洪水調節機能や景観保全など,水田の様々な機能が指摘されていますが,これらについてより深く研究する必要が求められています.
これらについて,農業経営と農業土木の両方の側面を加味しながら,耕作者の視点に立って検討しようというのが著者の研究上の立場になります.